人間、誰しも生きていく中で多くの人と出会う。
そしてそれらの人たちに多かれ少なかれ何らかの影響を受ける。
それらの人の中には、あなたを傷付ける言動をした人もいるかもしれない。

私の場合なら、過去の勤務先で先輩に暴言を浴びせられたり、あるいは別の勤務先では社長に酷い扱いをされたという記憶が鮮明に残っている。
しかし、彼らを恨んだり憎んだりする必要はなにもない。

そもそも我々が離れたところでそういった人たちを憎んだところで、彼らに何かを与えたり何かを奪ったりする事ができる訳でもない、それどころか人を憎むという気持ちがストレスになって自分の体を蝕んでしまう。

人間の構造上、自分の言動は一番先に自分自身に対して影響を与える。
例えば人をけなす目的で暴言を吐くと、その言葉は誰よりも先に自分自身の耳に到着し、そしてその言葉は必ず自分自身が最も大きな影響を受ける。

人をけなす汚い言葉を発するという事は防毒マスクなしで毒ガスを撒き散らしているのと同じで、自分自身にも悪影響を受ける事が避けられない。
これは人体の構造がそのようになっているからであり、これに関しては例外はない。

事実、私に暴言を吐いた先輩は、その後しばらくしてその企業を退職しているし、やはり私に対して暴言を含む酷い言動をした社長は、その後主要な社員の大半を失い、業務規模を大幅に縮小する事を余儀なくされた。

この世は他人に与えたモノを最終的に自分で受け取るというしくみになっているので、人が何を言おうが何も気にする事はない。
むしろ、自分を冷遇した相手の幸せを祈る事が自分の幸せにつながる。
なぜなら人は与えたモノを受け取るのだから。