先日、ニュース番組で興味深い内容が報じられていた。

それは警察官が酒気帯び運転で逮捕されたという事件に関するもので、アルコール依存症の症状が認められる職員に対しては業務命令として治療を受けさせるという方針が検討されているという事に続いて、宴席でお互いが酒を注ぎあうという習慣を廃止し、自分で注ぐようにするべきであるというものだった。

私はそのニュースを、日本でもついにこういった事が公然と叫ばれるようになったのかという喜ばしい気持ちで聞いていた。
私自身、この酒をあ互いに注ぎ合うという文化を苦々しく思っていたうちの一人であり、非常に野蛮な行為であると感じている。

私の父親は、酒が好きだったという事と相手に気を遣うという性格の相乗効果でか、とにかくこの、"相手に酒を勧める" という事に異常なほどこだわる人だった。

周囲に一緒に飲んでいる人がいれば、その人が飲みたいと感じているかに関係なく強く勧める事が礼儀なんだと信じていた。
その人のグラスにビールが口まで満たされている場合なら、半ば強制的に飲ませてグラスを空けさせてまで注ぎ足していた。

私は酒は自分で飲みたいように、飲みたい量だけを飲むのが一番美味しいと感じているのでそういった行為はするのもされるのも大嫌いでよく対立した。

周囲の温度によっても異なるが、ビールの場合、グラスに注がれたままにすると温まってくる。
そこに冷えたビールを注ぎ足すと温度が異なるビールが交じり合って味が落ちる。
これは実際に飲んでみれば明らかだ。

例えば、結婚式や法事など関係者があつまる酒席では主催者の側が招待客に対してこの酒を注いで回るという事が当然のように行われているが、注がれる側からすれば非常に迷惑に感じる事も少なくない。

美味しい食事をまさに食べている最中に回って来られると、グラスに空間を作るためにしかたなく口の中の料理を慌てて飲み込んでビールを流し込むという事をしなければならない。

これではせっかくの美味しい料理を味わって食べるもなにもない。
もっとも、法事などは半ば義務的な要素もあり、そこで料理を味わうと考える事自体に無理があるといわれればそうなのかもしれないが。

とにかく、この、酒を相手に注ぎ足すのがおもてなしであり、そうでなければ気が利かない人物であるという思い込みの激しい人が多いと感じる。

酒は飲みたい人が自分で注いで飲む、それに対して他に人は関与しないというごく当たり前の習慣が広まれば、酒気帯び運転やアルコール依存症といった酒が引き起こすネガティブな部分も少しは改善されるのではないかと考えている。