臨月の女性が頭痛を訴えたのに、複数の病院から次々受入を断られ、治療が遅れて死亡するという事件が起きてしまった。
以前、奈良県で起きたたらい回し事件とほぼ同じ構図で、もっと早く治療できていれば一命をとりとめたかもしれない。
胎児は帝王切開で無事産まれたようだ。

これが医療体制が国内でもっとも確保されていると考えられている東京23区内で起こったのだから事態は深刻だ。
奈良県の事件からなんら学んでいないし、対策と採られていないことになる。

いや、関係者はそれなりの努力をしてきたのかもしれないが、患者にとってその結果が見えなければいくら努力したところで価値はない。

自分が子供を持って感じるのは、乳幼児にとって母乳を与えてくれる母親という存在がいかに大きいかという事だ。
その大切な母親を失ってしまった赤ちゃんはこれから健やかに成長する事を願っているが、母親がいなくなったという事実はいかんともしがたいものだ。

先日、あるブログの記事で、一人の妊婦の命さえ救えずに何がオリンピックだ!と都知事の政策を強く非難する意見が掲載されていたが、私もまさにその通りだと思う。
自治体はそこに住んでいる住民が安心して暮らせるようにするために存在する。
そのために税金も納めているのだ。
行政はそこのトップのプライドを満たすためにある訳ではない。

実は私の住む伊勢崎市でも同じような事が行われてしまった。
市長が引退の花道を飾るために自分の出身地に巨大な観覧車を建設する計画を住民の反対を無視して強引に推し進めてしまったのだ。

市民の反対運動が功を奏し、その計画は中止に追い込まれたが、発注してしまった業者に対して違約金を1億円も支払うという事態になっている。
伊勢崎市は今泉町の市役所周辺でこそそれなりにきれいに整備されているが、少し周辺部にいけば人が満足にあるけるような歩道もなく、高齢者や小学生が、スピードを上げて走る車の脇で危なっかしく歩いている姿が目に付く。

住民が安心して生活できる環境も作れずに何が観覧車だ!
そんな遊具に貴重な税金を投入するくらいなら、高齢者への祝い金を増額するとか、もっと予算を投じるべき場所はいくらでもあるではないか。

今回の件では、次の選挙を考える必要のない政治家ほど怖いものはないと思い知らされた。
政治家としての格は大きく差があるが、任期最後に自分の花道を飾りたいという単純な発想は良く似ているなと感じた事件であった。