私は過去に栃木県に存在していた会社に勤務していた事がある。
当時の時の事を今でも懐かしく思い出す。
私が入社した頃のその企業は、地方都市の小規模な会社としてはかなり進んだ技術を持っていた。
まだWINDOWS3.1もDOS/Vも登場する前、パソコンをケーブルでつなげて資源(ファイルやプリンタなど)を共有できるLANを使ったソフトウェアの開発及び販売を行っていた。
その時、私は別の企業に勤務していたのだが、この会社の噂を聞いて、ある日 この会社を訪ねて東京で開催されていた展示会に足を運んだ。
この会社(S社)が出品しているブースに展示されていた機器は、パソコンが3台程度接続されて、テキストで構成されたシンプルな画面が表示されている、現在の技術と比べれば非常にお粗末ともいえるものだったが、当時はそれが最先端のパソコンネットワークであった。
私はそこで、当時副社長を務めていたF氏と出会い、この会社に興味がある旨を伝えた。
これが私がS社に入社する事になった経緯である。
そうはいっても、S社は当時社員10人に満たない小規模な企業で、群馬県と隣接しているA市でテナントを借りて営業していた。
今思うと、この会社はとても働き易い職場環境だった。
経営者も30代半ばと若く、自身もソフト開発出身だったので仕事をし易い環境を用意してくれていたと感じる。
業務案件も多く、また個々の案件の単価も比較的高額のものが多く、なぜこんな地方の小さな会社がこんなに仕事を、それも直接案件で受注できるのだろうと不思議に思ったほどだった。
入社して3年目には社員旅行で海外にも連れて行ってもらった。
そんなことで順風満帆だった業績も、時間の経過とともに少しずつ陰りが見えてきた。
私が考えるに、順調に業績を伸ばしてきた事で経営陣が強気(傲慢?)になり、自分なら何やっても成功すると錯覚してしまったのではないか?
それまでの2倍以上の広さの事務所に引越し、新卒を採用するようになるなど徐々に売上が伴わない投資が増えていったようだった。
そして、最後の事務所となった私鉄の駅近くの新築のビルに引越した頃には、かなりの額の累積赤字を抱えていた。
創業社長を降格させ、親会社から新社長を招いてテコ入れを図ったりしたが業績は好転せず。
最後はまとまった数の社員を減らしても追いつかず、最終的には法人を解散した。(その頃にはすでに退職していたので詳しい事情はわからない)
情報通信技術がこれだけ進んだ今日、この会社がもし活動していれば、何かおもしろい事をしていただろうな と考える事がある。
現在株式を上場しているようなITベンチャーの一翼となっていたかもしれない。
都内の展示会で出会ったF元副社長も数年前、還暦前に他界されたと聞いた。
元社員もバラバラになり、数人を除いて消息は分からない。
しかし、この企業での経験が自分自身の成長に大きく影響している事は間違いない。
当時の先輩や同僚、顧客や取引先の皆さまなど私を鍛えてくれた全てに人たちに感謝申し上げます。
当時の時の事を今でも懐かしく思い出す。
私が入社した頃のその企業は、地方都市の小規模な会社としてはかなり進んだ技術を持っていた。
まだWINDOWS3.1もDOS/Vも登場する前、パソコンをケーブルでつなげて資源(ファイルやプリンタなど)を共有できるLANを使ったソフトウェアの開発及び販売を行っていた。
その時、私は別の企業に勤務していたのだが、この会社の噂を聞いて、ある日 この会社を訪ねて東京で開催されていた展示会に足を運んだ。
この会社(S社)が出品しているブースに展示されていた機器は、パソコンが3台程度接続されて、テキストで構成されたシンプルな画面が表示されている、現在の技術と比べれば非常にお粗末ともいえるものだったが、当時はそれが最先端のパソコンネットワークであった。
私はそこで、当時副社長を務めていたF氏と出会い、この会社に興味がある旨を伝えた。
これが私がS社に入社する事になった経緯である。
そうはいっても、S社は当時社員10人に満たない小規模な企業で、群馬県と隣接しているA市でテナントを借りて営業していた。
今思うと、この会社はとても働き易い職場環境だった。
経営者も30代半ばと若く、自身もソフト開発出身だったので仕事をし易い環境を用意してくれていたと感じる。
業務案件も多く、また個々の案件の単価も比較的高額のものが多く、なぜこんな地方の小さな会社がこんなに仕事を、それも直接案件で受注できるのだろうと不思議に思ったほどだった。
入社して3年目には社員旅行で海外にも連れて行ってもらった。
そんなことで順風満帆だった業績も、時間の経過とともに少しずつ陰りが見えてきた。
私が考えるに、順調に業績を伸ばしてきた事で経営陣が強気(傲慢?)になり、自分なら何やっても成功すると錯覚してしまったのではないか?
それまでの2倍以上の広さの事務所に引越し、新卒を採用するようになるなど徐々に売上が伴わない投資が増えていったようだった。
そして、最後の事務所となった私鉄の駅近くの新築のビルに引越した頃には、かなりの額の累積赤字を抱えていた。
創業社長を降格させ、親会社から新社長を招いてテコ入れを図ったりしたが業績は好転せず。
最後はまとまった数の社員を減らしても追いつかず、最終的には法人を解散した。(その頃にはすでに退職していたので詳しい事情はわからない)
情報通信技術がこれだけ進んだ今日、この会社がもし活動していれば、何かおもしろい事をしていただろうな と考える事がある。
現在株式を上場しているようなITベンチャーの一翼となっていたかもしれない。
都内の展示会で出会ったF元副社長も数年前、還暦前に他界されたと聞いた。
元社員もバラバラになり、数人を除いて消息は分からない。
しかし、この企業での経験が自分自身の成長に大きく影響している事は間違いない。
当時の先輩や同僚、顧客や取引先の皆さまなど私を鍛えてくれた全てに人たちに感謝申し上げます。