2009年09月

群馬県伊勢崎市にあるパソコン技術支援の業者です。

当社は5人〜20人規模の企業・法人様を対象としたサービスを提供しています。

コンピュータシステムのメンテナンスやパソコン導入・入替のコンサルティングが得意です。

連絡先

TEL 0270-24-6253

携帯 090-8490-5606

後閑克己

Youtubeで動画を公開しています。

コンピュータと人間の共通点

コンピュータを基礎から学んだ事のある人ならコンピュータの基本動作についてはご存知のはずだ。

コンピュータの基本とは 入力->処理->出力である。

入力とは、計算させる元になる数字なり画像なり、あるいはマークシートの答案用紙であったりする。
出力とは、それを意味のある形にしたものであり、例えば印刷された成績表であったりウェブサイトを公開するためのファイルであったり、エクセルのシートであったりする。
処理とは入力された情報を計算なり加工なりをして出力させるための手順である。

つまり、いくらコンピュータといえども入れたものが基本となって結果がでる。
入れたものと全く異なる結果にはなり得ない。

料理だって同じだ。
使われる素材をうまく生かすことはできても、その素材を大幅に超えた料理を完成させるという事はあり得ない。

実は人間もこれらとほぼ同じであるといえる。
食べたものが体の素材となっているのはもちろんだが、自分の中に取り込んだ情報全てが自分自身を構成する要素になっているのだ。

例えばテレビ番組で毎日のように流されている芸能情報を体に取り込んでいる人はそれが体中に浸透し、それが結果つまり人生の質に影響するはずだ。

一方でビジネスに関する情報紙を読んだり、病気にならない生活について学んでいるなら、それが人生の質に反映されるのは当然だろう。

よい結果を得るにはよい入力をする、これが全ての原則である。

成功には偶然はあり得ない。
全ての成功している人はするべくして成功している。
これは、言い換えれば良いモノを取り込んだ結果であるといえる。

あなたが成功したいと思っているのなら、自分の中に取り入れる情報に細心の注意を払おう。
それが全てにつながっていくのだから。

酒にまつわる悪しき習慣

先日、ニュース番組で興味深い内容が報じられていた。

それは警察官が酒気帯び運転で逮捕されたという事件に関するもので、アルコール依存症の症状が認められる職員に対しては業務命令として治療を受けさせるという方針が検討されているという事に続いて、宴席でお互いが酒を注ぎあうという習慣を廃止し、自分で注ぐようにするべきであるというものだった。

私はそのニュースを、日本でもついにこういった事が公然と叫ばれるようになったのかという喜ばしい気持ちで聞いていた。
私自身、この酒をあ互いに注ぎ合うという文化を苦々しく思っていたうちの一人であり、非常に野蛮な行為であると感じている。

私の父親は、酒が好きだったという事と相手に気を遣うという性格の相乗効果でか、とにかくこの、"相手に酒を勧める" という事に異常なほどこだわる人だった。

周囲に一緒に飲んでいる人がいれば、その人が飲みたいと感じているかに関係なく強く勧める事が礼儀なんだと信じていた。
その人のグラスにビールが口まで満たされている場合なら、半ば強制的に飲ませてグラスを空けさせてまで注ぎ足していた。

私は酒は自分で飲みたいように、飲みたい量だけを飲むのが一番美味しいと感じているのでそういった行為はするのもされるのも大嫌いでよく対立した。

周囲の温度によっても異なるが、ビールの場合、グラスに注がれたままにすると温まってくる。
そこに冷えたビールを注ぎ足すと温度が異なるビールが交じり合って味が落ちる。
これは実際に飲んでみれば明らかだ。

例えば、結婚式や法事など関係者があつまる酒席では主催者の側が招待客に対してこの酒を注いで回るという事が当然のように行われているが、注がれる側からすれば非常に迷惑に感じる事も少なくない。

美味しい食事をまさに食べている最中に回って来られると、グラスに空間を作るためにしかたなく口の中の料理を慌てて飲み込んでビールを流し込むという事をしなければならない。

これではせっかくの美味しい料理を味わって食べるもなにもない。
もっとも、法事などは半ば義務的な要素もあり、そこで料理を味わうと考える事自体に無理があるといわれればそうなのかもしれないが。

とにかく、この、酒を相手に注ぎ足すのがおもてなしであり、そうでなければ気が利かない人物であるという思い込みの激しい人が多いと感じる。

酒は飲みたい人が自分で注いで飲む、それに対して他に人は関与しないというごく当たり前の習慣が広まれば、酒気帯び運転やアルコール依存症といった酒が引き起こすネガティブな部分も少しは改善されるのではないかと考えている。

起動しないパソコンからデータを取り出す方法

ある程度の期間(3〜4年以上)使っているパソコンが突然起動しなくなりました。
ハードディスクには旅行先で撮った写真や帳簿類、今まで多くの人とやり取りした大量のメールなど失いたくないデータが保存されています。

最悪、このパソコンはあきらめるとしても、記録されているデータは取り出したいですよね。
このような場合はどうすればいいでしょうか?

パソコンが起動しなくなった原因がマザーボードなどハードディスク以外にあるのであれば、以下の手順でデータを取り出せる可能性があります。

1. 本体のケースを開けてハードディスクを取り出します。
デスクトップの場合は比較的簡単に開ける事ができると思いますが、ノートパソコンの場合は機種によって開けかたが異なります。
ノートパソコンの場合、ハードディスクは側面や底面にネジ留めされているフタを外す事で取り出せるようになっている場合が多いです。

2. 取り出したHDDを外付けUSBケースに取り付けます。
ノートパソコンの場合は2.5インチ、デスクトップの場合は3.5インチのHDDですので、その部品に合った外付けHDDユニットを用意します。

3. そのHDDを別の作業用パソコンのUSB端子に接続します。
故障したパソコンから取り出したHDDが正常なら、この段階で中身を確認する事ができ、DVDなり、そのパソコンのHDDなりにデータを退避する事が可能になります。

データ復旧専門の会社などでHDDのデータ取り出しを依頼すると数十万円という金額になってしまいますので、パソコンが起動しない場合、まずはこの方法をお試し下さい。

但し、作業するパソコンのユーザーがadminでない場合、全ての領域にアクセスできない可能性があります。
作業に際してはこのあたりも注意してください。

説明って難しい

最近、ITとか通信関係の商品を説明するのって本当に難しいなと感じた出来事がある。

とあるお店を経営されている方。
現在はNTTの加入電話回線でADSLを利用中。
これを光回線に切り替えて電話もひかり電話にすれば、わずかな料金の追加でインターネットが高速になり、動画なども快適に見られるようになりますよというご案内をした。

その相手の方の反応は インターネットを使った電話を使う必要はないから・・・ というものだった。
NTTのコマーシャルか何かをご覧になって、ひかり電話とはインターネット回線を使って通話をするもので、インターネットを利用する事で例えば何かの情報が検索ができるなど加入電話とは全く別の機能を持った電話なのだと思い込んでいたらしい。

いうまでもなくこれは全くの勘違いで、一部の制約を除けば ひかり電話だからといって加入電話と機能が大きく異なるという事はない。

こちらは別の女性のお客様。
引越しをするので新規にインターネットの契約が必要になり、その手続きの代行を依頼された。
新規に契約するものとして、Bフレッツとひかり電話が必要ですねとご案内したのが、そのお客様はBフレッツというもの何かを正確に理解されていなかったようで、これ以外にインターネット回線の契約が必要なのではないかという質問を受けた。
これも勘違いで、BフレッツとはNTTが提供している光ケーブルの商品名だ。
これを1本引くだけで高速インターネットや固定電話のサービスが受けられる。

今回の例を挙げるまでもなく、商品やサービスを説明する際、こちら側にとって当たり前の事がお客様側は理解できていないという事が実に多いのだ。
お互いの理解の違いがやがてクレームに発展する場合もある。

商品やサービスを提供している側にとっては当たり前とか常識だと信じていても、相手にとってはそうではない事がある事を認識し、より丁寧に確認する事が必要である事を今回の2件の事例から学ぶ事ができた。

成功者が語る販売の極意とは

最近、とあるネット起業家の方の無料オンライン講座を受講する機会に恵まれた。
そして、併せてその起業家本人及び仲間がその人たちのメンターとスカイプを使ってセミナーを受けている音声を聞く機会にも恵まれた。

そのセミナーは、販売の極意というテーマで進められていた。
そのメンター氏は年間数億円を稼いでいるというから、間違いなくビジネスで成功している人の一人であろう。
そういった人物が語る販売の極意とはどのようなものなのか、音声を聞く前から非常に興味があった。
しかし、その販売の極意は意外な内容だった。

そのMr.Xなる人物が語る販売の極意とは、本物の人間になる事だという。
つまり、営業のマニュアル本に書かれているようなセールストークをマスターしたり、消費者の心理を学んでいかに買いたくなるような文言を考えるかという小手先のテクニックなどではなく、人間として本物になる事が必要だという。

私はこの話を聞いて、俗な表現ではあるが目からウロコが落ちた気がした。
確かに長期間に渡ってビジネスで成功している人のほとんどは非常に人間的に立派で魅力のある人ばかりだ。

一時的に成功してある程度の利益を出している経営者は多いが、人間的に本物でない人はやがてその資産を失う結果になっているのではないだろうか?
実際に私がこれまで関わって来た経営者の一人もそのようになっているし、北海道や岐阜で食肉の偽装をしていた企業の社長などはその典型的な例だと言えるだろう。

人間、オーナー社長など人の上に立って意のままに人を動かせるようになると、大切な事を忘れてしまうのではないだろうか?
その大切な事とは、自分自身もお客さんから常に評価の目にさらされているという事だ。

小規模な企業、特にオーナー社長の企業では明らかに理不尽な事や違法な行為を社員に強要している社長は少ないないのだろうが、そういった事をしている企業はやがて巡り巡って顧客から相手にされなくなるはずだ。
人に与えたモノを自分で受け取るという宇宙の法則があるからだ。

れが、本物の経営者と一時的にしか成功できないニセ経営者を分ける要素なのだろうと思う。
セミナーを聞いて、どこに行っても通用する本物の人間になりたいと心底思った。

困った事は起こらない

私や私が交流させて頂いている方々は、斎藤一人さんから学ぶという事をしています。

斎藤一人さんは累積納税額日本一という大富豪の方で、著書も多数ありますのでご存知の方がほとんどだと思います。
斎藤一人さんにはさまざまな語録がありますが、その中でも有名なものに、困った事は起こらない というのがあります。

生きていく中で我々が困ったと感じている事は実は学びであり、それを経験する事で自分の知識が増えるのだから困っている事にはならないというのがその根拠です。

人生は思考、言い換えれば心の持ち方でその質が決まるといいます。
私はこの斎藤一人さんの名言を聞いた時、まさに成功者の思考だと感じました。

しかし、困ったように見える事の中には回復できない状況になってしまう事があります。
事故や病気で死亡したり、あるいは再起不能の状態になってしまう事もありますからね。
それでも困らないのでしょうか?

一人さんによれば、魂は生まれ変わる事100万回。
人は魂を向上させるための修行をするためにこの世に生まれてくるともお話されています。
つまり、例え死んだとしても魂は不滅なのでまた来世がある、そして今世恩返しできなかった人には来世すれば良いという思考が根底にあります。

こういった発想で日々暮らしていけば、少しは収入が増える事になるのかもしれません。

うわっ、これはひどい

最近はお客さん先に訪問するために車で移動する機会が比較的多くなっているのだが、走っていて気が付くのは店舗や事務所の撤退だ。

よく通る道の脇に大きくてきれいな看板を出していた印刷会社があったのだが、今日通ったら事務所や看板など全てが白いペンキで雑に塗りつぶされている。
事務所移転なら張り紙くらいはするはずだから、廃業という事なのだろうと推測される。

また伊勢崎の街中を走ってみても、最近まであった会社が知らない間に看板が白くなっているというところを良く見かけるようになった。

テナントビルなど、8部屋全て入居していたのが1部屋を残して撤退してしまったところもある。
本当に厳しい状況だ。
これからも多くの失業者が出る事は避けられない状況だ。

リーマンショックから1年。
政府は日本の景気は底を打ったなどと発表しているが、巷には非常に厳しい風が吹いている。
景気の回復までいかにして生き残るのか、それが企業経営者にとっての当面の課題だと言えるのかもしれない。

どうなる八ッ場ダム

民主党政権が誕生する事になった現在、群馬の山奥のひなびた温泉地が俄然注目を浴びている。
そう、八ッ場の建設問題だ。

民主党は、八ッ場は時代に合わないと主張し、建設中止の方針を打ち出している。
一方現地の川原湯温泉はというと、すでに新しい源泉も掘り温泉街の代替地への移転が決まっていて、すでに移転を済ませた住宅も多いようだ。

今朝のニュース番組によれば、この八ッ場建設の全体の予算のうち、すでに7割ほどを使ってしまっているという。
映像では鉄道と思われる構造物の高架化工事が写っていたが、確かにあの状態で建設を中止するとなればまさに"宙ぶらりん"という事になる。

しかし、だからといってこのまま建設を推進するのも問題だ。
私は地元の住民ではないが、県民として懸念しているのは吾妻渓谷が水没する事だ。

上毛カルタにも 耶馬溪しのぐ吾妻峡 と謳われている吾妻渓谷は新緑や紅葉が非常に美しい景勝地である。
それを自らつぶすとはなんと愚かな行動なのか?

八ッ場は首都圏の水がめと治水という2つの役割があるというが、すでに構想から40年も経過していて、その間ダムが必要だと考えられるような状況は生じていないのではないだろうか?

それ以前に、そもそもなぜあの地域にダム建設の計画がもちあがったのだろうか?

ここから先はあくまでも推測なのだが、吾妻地域は小渕元首相の出身地であり、また中曽根・福田両首相の選挙区でもある。
そしてゼネコン・土木工事といえば関連する業者の裾野が広い業界である。

という事なのではないかと・・・

今からでも遅くはない。
八ッ場の建設は中止し、そして現在工事中の鉄道はそのままの状態にして、政治の愚かさを象徴するモニュメントとして残すという案はどうだろうか。
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