パソコンの訪問サポート オフィスハピネス

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どちらに転んでも楽しい

先日、まさに同感! と感じるメルマガの記事があったのでご紹介したい。

それは、男女の出会いのサポートや夫婦の関係を改善するコンサルタントをしているある一組の夫婦が発行しているメルマガなのだが、その夫婦は現在妊娠中で間もなく臨月を迎える中で、出産前のひと時、夫婦だけの時間を目いっぱい楽しんでいるという事が書かれていた。
子供が産まれると夫婦の時間が取れなくなるという周囲からのアドバイスを受けてそのような時間を作っているという文面にとても好感がもてた。

子供が産まれると夫婦の時間が取れなくなるというのは間違いないが、一方で子供が産まれれば産まれたで家族が増えて楽しい生活になるはずだ。
つまり、どちらに転んでも楽しい時間になるのだ。

ストレスを受けない、もしくは最小限に減らすコツとして、制御できないものは受け入れるという方法がある。
例えば天気などはその代表的な例だ。

せっかく旅行に来たのにあいにくの雨だと思うと、それがストレスになって旅行の楽しみが減ってしまう。
そうではなく、晴れの日は晴れの日の風景があり、雨の日は雨の日の風景があると考える。
雨に濡れた緑の美しさもいいし、水滴ににじむ夜景もきれい。
つまり晴れてもいいし、雨でもいい、こう考えればなんのストレスもない。

また人間同士の関係も思い通りにはならないものだ。
人間同士の関係で、ある理想的な姿を思い描き、その通りにならない事でストレスを受けているという人も少なくないかもしれない。
それは、そういった自分の勝手な都合で考える事自体に無理があるのだ。

子供を望む夫婦の不妊治療などもその例ではないだろうか。
子供がいて、家族で楽しい休日を過ごすのが自分が理想とする幸せの姿であると思い込んでしまうと、そうなっていない今は不幸であるという結論になり、どんなに費用をかけても絶対に子供が欲しいという発想になる。
そうではなく、子供がいる人生も素晴らしいが、いなければいないなりの楽しい人生があるという発想の転換ができるかどうかが大切だと思う。

変えられるのは自分だけ、これが人間関係を改善する原則だ。
相手に横を向いてくれと頼んでも、その相手が横を向くかどうかはあくまで相手次第である。
しかし、自分が場所を移動して相手の横に行く事なら相手の意思に関係なく実現可能だ。

変えられるのは自分だけ、さらに変えられないものは、どちらに転んでも楽しいという、この感覚を身に着けるだけで人生はとても素晴らしいものになるはずだ。

コンピュータと人間の共通点

コンピュータを基礎から学んだ事のある人ならコンピュータの基本動作についてはご存知のはずだ。

コンピュータの基本とは 入力->処理->出力である。

入力とは、計算させる元になる数字なり画像なり、あるいはマークシートの答案用紙であったりする。
出力とは、それを意味のある形にしたものであり、例えば印刷された成績表であったりウェブサイトを公開するためのファイルであったり、エクセルのシートであったりする。
処理とは入力された情報を計算なり加工なりをして出力させるための手順である。

つまり、いくらコンピュータといえども入れたものが基本となって結果がでる。
入れたものと全く異なる結果にはなり得ない。

料理だって同じだ。
使われる素材をうまく生かすことはできても、その素材を大幅に超えた料理を完成させるという事はあり得ない。

実は人間もこれらとほぼ同じであるといえる。
食べたものが体の素材となっているのはもちろんだが、自分の中に取り込んだ情報全てが自分自身を構成する要素になっているのだ。

例えばテレビ番組で毎日のように流されている芸能情報を体に取り込んでいる人はそれが体中に浸透し、それが結果つまり人生の質に影響するはずだ。

一方でビジネスに関する情報紙を読んだり、病気にならない生活について学んでいるなら、それが人生の質に反映されるのは当然だろう。

よい結果を得るにはよい入力をする、これが全ての原則である。

成功には偶然はあり得ない。
全ての成功している人はするべくして成功している。
これは、言い換えれば良いモノを取り込んだ結果であるといえる。

あなたが成功したいと思っているのなら、自分の中に取り入れる情報に細心の注意を払おう。
それが全てにつながっていくのだから。

酒にまつわる悪しき習慣

先日、ニュース番組で興味深い内容が報じられていた。

それは警察官が酒気帯び運転で逮捕されたという事件に関するもので、アルコール依存症の症状が認められる職員に対しては業務命令として治療を受けさせるという方針が検討されているという事に続いて、宴席でお互いが酒を注ぎあうという習慣を廃止し、自分で注ぐようにするべきであるというものだった。

私はそのニュースを、日本でもついにこういった事が公然と叫ばれるようになったのかという喜ばしい気持ちで聞いていた。
私自身、この酒をあ互いに注ぎ合うという文化を苦々しく思っていたうちの一人であり、非常に野蛮な行為であると感じている。

私の父親は、酒が好きだったという事と相手に気を遣うという性格の相乗効果でか、とにかくこの、"相手に酒を勧める" という事に異常なほどこだわる人だった。

周囲に一緒に飲んでいる人がいれば、その人が飲みたいと感じているかに関係なく強く勧める事が礼儀なんだと信じていた。
その人のグラスにビールが口まで満たされている場合なら、半ば強制的に飲ませてグラスを空けさせてまで注ぎ足していた。

私は酒は自分で飲みたいように、飲みたい量だけを飲むのが一番美味しいと感じているのでそういった行為はするのもされるのも大嫌いでよく対立した。

周囲の温度によっても異なるが、ビールの場合、グラスに注がれたままにすると温まってくる。
そこに冷えたビールを注ぎ足すと温度が異なるビールが交じり合って味が落ちる。
これは実際に飲んでみれば明らかだ。

例えば、結婚式や法事など関係者があつまる酒席では主催者の側が招待客に対してこの酒を注いで回るという事が当然のように行われているが、注がれる側からすれば非常に迷惑に感じる事も少なくない。

美味しい食事をまさに食べている最中に回って来られると、グラスに空間を作るためにしかたなく口の中の料理を慌てて飲み込んでビールを流し込むという事をしなければならない。

これではせっかくの美味しい料理を味わって食べるもなにもない。
もっとも、法事などは半ば義務的な要素もあり、そこで料理を味わうと考える事自体に無理があるといわれればそうなのかもしれないが。

とにかく、この、酒を相手に注ぎ足すのがおもてなしであり、そうでなければ気が利かない人物であるという思い込みの激しい人が多いと感じる。

酒は飲みたい人が自分で注いで飲む、それに対して他に人は関与しないというごく当たり前の習慣が広まれば、酒気帯び運転やアルコール依存症といった酒が引き起こすネガティブな部分も少しは改善されるのではないかと考えている。
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